褒め

「ほめ」が上手い人と下手な人がいる。ほめることについてもだし、ほめられることについてもそうだ。
ほめるほめられるというやり取りは人間関係を円滑にする。人とあっという間に仲良くなる人は自然に相手をほめていたりする。

その点、私はてんでだめだ。ほめることもほめられることも下手くそである。すっとほめ言葉が出てこないし、ほめられるとびっくりしてしまうので居心地が悪そうに「イヤイヤ ソンナソンナ」ということしかできない。人間は動揺すると同じ単語を繰り返すことしかできないのだ。

ほめられたらほめかえした方がいい、それぐらいは知っている。ただ言葉が出てこないのだ。何を言えばいいのかがわからない。

そもそもその人がどんな外見でどんな性格でどんな特徴があるのかということを意識しないと把握できていない気がする。椅子に座ってゆっくり落ち着きながらその人の言動や服装を思い出して、コーヒーをすすり、その人の特徴的な要素を抜き出して、手元のビスケットを食べ、集めた要素からその人の性格やセンスのようなものを理解する、ぐらいのステップを踏めばできる。ただ、会話しながらは今のところできそうにない。

これは本当に私の悪いところだが、その人を見ているようで見ていないことが多い。例えば何人も続くような自己紹介を一通りちゃんと聞いたうえで誰の名前も覚えていない。確かに紋切り型の自己紹介ばかりだからというのもある。自己紹介ギャグをやったうえで名前を教えてくれたらおそらく覚えられるはずだ。さらに言うと人の名前はそこまで意外性がない。キラキラネームではまだ足らない、しょせん名詞だ。世の中には「雪の降る町」や「日本一面白い大崎」を名乗っている人がいる。そういった名前自体にインパクトがあると忘れにくいし、その人が本気で作ったものを見た後に自己紹介を改めて聞くと頭に残る。何かしらの個性がないと名前とその人が結びつかないのだ。

自己紹介を順番にやらされるたびになんて下手くそなやり方なんだと思っていたものの、どうも周りの人たちは名前を憶えている。向こうが私の名前を憶えていて話しかけてくれたりしたら大変だ。私は何も覚えていないから「へへへ、そっすね」としか言えない。
もしかして周りの人たちはすごい努力をして人の名前を憶えているのか? それもあるんだろうな。二人きりで対面でした自己紹介のことも覚えていないし。ごめん! 私が悪いです!

ほめ言葉が早くて多い人は気持ちがいい。人のよさや性格の明るさが隠し切れないぐらいに漏れ出ている。私は暗くてジメジメしたところで暮らしているから、急に強い光が当たると何も見えなくなってしまうのだ。昔はほめられたときに固まって何も言えなかったのでこれでも進歩している。

人から褒められたりするたびに、世の中に「ほめる」という行為が存在することを思い出してびっくりしている。レビューサイトにコメントしたことなんてないし、人に何かを進めたりもしない、何ならこれが好きだという宣言もできない。何かが好きだと宣言することによって自分にかけられる枷が頭をよぎるせいでうまく言葉にならない。音楽が好きだというならあのバンドは聞いていなくては、お笑いが好きだというならあのコントは見ていなくては、そんな好きというからにはという枷がある。自分で作って自分にかけている枷であって誰のせいでもないのだが、あるものをを好きだと言う行為に対しては、そういう自分の在り方をゆがめかねない何かを感じている。

もちろん、これは単に何かを好きだということを重くとらえすぎているだけだ。気軽に好きと言っても別に構わないし、実際そういう人もいる。ほめるという行為にどれだけ慣れているかなのだろう。思い返すと私の両親もあまりほめなかったし、何かを好きだとも言わなかった。
私は父親の好きな食べ物を知らない。嫌いな食べ物は知っている、にんじんとこんにゃくだ。親がほめ下手だと子どももそうなるのか。

う~ん似なくてもいいところが似てしまった。税金の話とかが理解できるところが似ればよかったのに