今敏監督のアニメ映画『パプリカ』がリバイバル上映していたので、滑り込みで見てきました。
せっかく見たので感想です。がっつり内容に触れます。
1/29まで上映しているのでまだ間に合うぞ!!
『パプリカ』概要
他人と同じ夢を見て、干渉できる機械「DCミニ」が軸となっています。DCミニは精神科領域の治療のために研究開発中のものです。
主人公である千葉敦子は患者の夢の中では姿の異なる女性「パプリカ」として行動し、治療を行っていました。
しかしDCミニが何者かに盗まれたことで、夢を見ている間、夢遊病のように行動を操られるような事件が発生します。
主人公たちDCミニの開発チームがDCミニを取り戻そうとするという話です。
感想
いま上映されるのなんかわかるという感じでした。
作中では様々な夢が登場するのですが、度々登場する軸となるような夢があります。
冷蔵庫や人形や鳥居など、様々な無機物が紙吹雪を撒き散らしながら道路を行進していく、パレードの夢です。
この夢に取り込まれた人物は支離滅裂な言葉を発しながら何処かへ向かおうとし、高いところから飛び降りたり交通事故を起こしたりするようになります。
パレードの中には大量の人形が登場しました。これは、DCミニを盗み出した容疑者の氷室の無意識が関係しているように思います。
氷室の自宅に踏み込んだところ、室内には大量の人形やロボットがありました。氷室もパレードの夢を見ていることから彼の潜在意識が反映されているのでしょう。
私が気になったことは大量の人形が登場することではなく、その人形の多くが右腕を掲げていることでした。真っすぐに伸ばした右腕が頭上前方に掲げているのです。いわゆるナチス式敬礼のポーズでした。
作中にて、夢はその人の無意識や抑圧された欲望の反映であると語られ、その人が望んでいることや逆に恐れていることが夢に反映されています。パレードの夢に取り込まれた人は人形や家電となりその行列に加わっていく。そしてパレードの中心には大量の人形に担がれる形で玉座があります。
最初はパレードの夢に取り込まれかけた研究所の所長が玉座に座りましたが、主人公である千葉、もといパプリカによる干渉で行列に取り込まれる前に目を覚まし玉座が一度、空になります。その後、DCミニを盗み出した氷室が玉座に座りますが、夢に飲み込まれた氷室は現実世界で飛び降りを行い、黒幕が別にいることがわかると同時に再度玉座は空席になります。その後DCミニに適合することで夢を見ていない人の意識も操れることがあかされ、現実にパレードの夢が侵食していきます。その時、DCミニに適合し人々を操る黒幕である研究所の理事長がその座につくことになります。
人形、すなわち夢に取り込まれた者、の集合に担がれた玉座に他人の夢に干渉できる者がつくというのはかなり示唆的な描写だと思います。夢とは抑圧された欲望や恐怖であるということは作中で語られています。歴史の話をすると第一次大戦後、大きな植民地を持たなかった国々にて、世界恐慌の煽りを受けた不況に苦しむ国民からの支持を受けて、戦争による侵略を唱えるファシズムが台頭したという流れだそうで、このパレードと重ねられているのだと思います。
他人が持つ表には出せない欲望や恐怖に干渉し、干渉された人に担がれて王になるという語られ方を見たときに私は現実との接続を感じました。排外主義を煽り、人々に(場合によっては誇張された)恐怖を植え付け、恐怖を植え付けられた人から支持されている人や、ブランドというものを作り上げ、本来あるべき以上に価値に差があるように見せることで他人からの欲望を喚起し商品を買わせるといったやり方は現実に存在しています。
またパレードの夢に取り憑かれた人は支離滅裂な言葉を発するようになるということは上記のとおりです。具体的にはどのようなものかというと以下のような感じです。
「パプリカのビキニより、DCミニの回収に漕ぎ出すことが幸せの秩序です。五人官女だってです! カエルたちの笛や太鼓に合わせて回収中の不燃ゴミが吹き出してくる様は圧巻で、まるでコンピューター・グラフィックスなんだ、それが! 総天然色の青春グラフィティや一億総プチブルを私が許さないことくらいオセアニアじゃあ常識なんだよ!」
文法的には間違っていないが意味的には通っていない、いわゆるワードサラダです。ただ、パレードの夢のめちゃくちゃな行列の説明としては完全に見当違いなわけではなく、本人の中では理屈が通っているのかもしれません。
そして、作中にはこれと似た文法的にはわかるが意味的にはわからない言葉というものが登場します。それがDCミニの科学的な説明です。DCミニを作成した天才科学者である時田がその理屈を語るシーンがあります。存在しない科学技術についての、しかも天才の語りであるために説明が省かれた解説で、意味は理解できないものになっています。
私はこの2つが意図的に重ねられていると解釈しています。最先端の科学も我々一般人には理解できないものであり、パレードの夢にとらわれた人の語りと等価なものであるといえます。どちらを選ぶかはその人次第ですし、科学を選ぶことが正解だという描かれ方でもないかと思います。というのはそもそもこの混乱自体がDCミニの開発によって起こされたものだからです。DCミニにアクセス制御をかけていなかったため、盗まれたDCミニから他人の夢に自由にアクセスされるようになってしまっていました。そして開発者の時田はDCミニによる被害が出てからも、DCミニは夢の発明だ、友達と同じ夢を見られるなんて最高だと語ります。時田は科学にしか興味がなく現実については関心を抱いてすらいません。
エリートとそれ以外の分断が存在し、その構造に乗っかる形で王になろうとする者がいるのはポピュリズムのあり方だなぁと思いました。
黒幕である理事長は年老いており自分の足で歩くことができず、最先端の車椅子で移動しています。終盤、現実に侵食したパレードの夢を更に理事長の夢が取り込みます。その時、理事長は若い男性の体つきをしており、自分の足で立っています。そして理事長は「私は私の足で立っている。そしてすべてが私の支配下だ」と喜ぶのです。黒幕である理事長の欲望は支配でした。 制御できなくなった自分の身体、そしてそれを飛び越えて世の中すべての支配を望んでいたのです。
この黒幕をどう倒すかというと、パプリカが「世の中すべてのものにはついとなるものがある。男には女だ」といった内容のセリフを言い、時田の体内に入ると赤ん坊の姿として登場し、理事長の夢を吸い取って倒しました。その時、理事長の力を吸い取りながら成長して大人になっていくという描写になっていました。また、もしそんな黒幕がいたとして、それを倒してくれるヒーローはいない。これからヒーローになるしかないんだというメッセージと読み取ることも出来ます。 映画を見ているときは唐突で放り投げるような終わり方だと思いましたが、そんな好意的な読み方をしてもいいんじゃないかなと。個人的には大人の問題は大人が解決しなさい、次に託すなとは思いますが。
補足:マニック・ピクシー・ドリーム・ガールとしてのパプリカ
抑圧された欲望ということで官能的な描写も多いのですが、その殆どの対象はパプリカです。パプリカは魅力的で掴みどころがなく、困っている人(作中では男性のみ)を救う女性という描かれ方でした。 現実世界にパプリカは存在せず、千葉の夢の世界でのアバターとしてしか存在しません。ほかの登場人物がDCミニで夢を見ている間は、現実と同じ姿をしているのにもかかわらずです。 夢と現実の境目が曖昧になりパレードの夢が現実に侵食してきたとき、パプリカと千葉はそれぞれ別の人物として存在していました。黒幕を倒す方法として出産のメタファー的な方法が取られたとき、パプリカの取れるやり方はそれだけなのかと思いましたが、男性の理想や欲望が投影されて形作られたパプリカが取る行動として考えたならばそこまで違和感はないのかもですね
以上。勝手に言っていることなのでこれが絶対というものでもないですという、免罪符を添えて